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石川県野々市町 
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町の花木(かぼく)とマークだよ

町花木

町の花木はツバキです。
野々市町にはむかしから、(えだ)ぶりのりっぱなツバキが多く育っていました。また「野々市」という、ほかとちがった白にうすい(べに)をさしたような美しい品種(ひんしゅ)もあるので、ツバキになりました。昭和49年(1974年)に町を代表する花木に決められました。
この時いっしょに(ちょう)議会(ぎかい)(あい)と和の都市(とし)宣言(せんげん)も定めました。

その後、昭和55年(1980年)に「愛と和の町民(ちょうみん)憲章(けんしょう)を定め、その中のまちづくりの基本的(きほんてき)な考え方は今も受けつがれています。

(ちょう)(しょう)

町のマークを「町章」といいます。ひらがなで「のの」を組み合わせた形で、町の発展(はってん)を表しています。町合併(がっぺい)5周年(しゅうねん)記念(きねん)して昭和35年(1960年)に制定(せいてい)しました。町章

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今の町はどのように生まれたのかな

野々市町の誕生(たんじょう)

明治22年(1889年)に国で町村制(ちょうそんせい)がはじまり、野々市の村々も合併(がっぺい)して「野々市」「(とみ)(おく)」「(ごう)」「押野(おしの)」の4つの村が生まれました。
大正13年(1924年)には、野々市村が野々市町になりました。その後、昭和30年前後から全国的に小さな町・村が合併していきました。 
昭和30年(1955年)にはそのころの野々市町と富奥村が合併し、次の年には郷村が分れて合併、そして、昭和32年(1957年)4月には(きゅう)押野村の一部が野々市町に入り、今の野々市町になりました。

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